『グリーン・インフェル』と『ソイレント・グリーン』。カンニバリズム(食人)つながり。

まんが日本昔話』の中に、村人が穀物を捨てていたために穀類の霊が怨霊となり、旅の坊さんを襲うという話があった。

『穀の精』放送日:1978年06月24日(昭和53年06月24日)

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子供の頃なので、両親と食事中に見ていた。
父親が「こんな話は有り得ない。昔の話ではないだろう」とやや怒気を含んでつぶやいていた。
父親は、高校紛争の活動をしていたような筋金入りのマルキストだったので、歴史に対する認識が偏っていた。階級闘争史観というやつだ。
(少年の時に受けた教育は大人になっても消えない。ただ、昭和の日本人らしく本当に働き者だった。休んでいるのをほとんど見たことが無い)
日本史も「農民は権力者から搾取されていつも飢えていた」と認識していたらしく、その哀れで虐げられ飢えた農民が穀物を捨てることは考えられなかったのだ。

冷静に考えればおかしな結論である。
もちろん飢饉の時もあっただろうが、豊作で穀物があまる時もあったはずだ。
今なら、インフラが整備されており運送業も発達しているため、別の村や都市に売買できただろうが、つい最近までそれらはなく、どんなに豊作でもあまれば捨てるしか無かったのだ。
冷蔵庫もない時代、保存もできない。干すとか塩漬けにするとか当時の方法では限界があった。
故に、この『穀の精』のもとになる話はあったはずなのだ。

 

食糧の流通難は21世紀になっても世界の問題である。発展途上国は飢え、先進国では食べ過ぎて肥満が問題になっているのだが。

映画『ソイレント・グリーン』は世界中が飢えているとの設定のSFである。
内容は単純な物で、チャールトン・ヘストン演じる刑事がある殺人事件を捜査している。被害者はソイレント社の幹部であった。その捜査中に、ソイレント社が配給しているソイレント・グリーンと名付けられた合成食品が人間の肉から作られている事を知り、ラストに告発する。


これを見た当時の私は「こんな時代が来るのかな」と21世紀を悲観していた。

感動的なのは、チャールトン・ヘストンの相棒の老人が自ら安楽死施設に行き、安楽死する場面である。ベートーベンの交響曲第6番「田園」のBGM。そして画面に広がる青い空、美しい大地、広大な海などの映像が素晴らしかった。

しかし、食料が無くなれば人間でも食べるしか無いのでは、と子供心に思ったのも事実。


『グリーン・インフェル』。期待していたより悪趣味ではなかった。
若者達がペルーの少数部族を守ろうとして、森林開発を阻止を実行する。計画は成功するが、帰りの飛行機が墜落し、守ろうとしていた少数部族に喰われてしまう。
国連職員の娘が一人だけ生還するのだが、仲間が喰われたことを話せば少数部族は殲滅されるため、助けてもらったと嘘をつく。


【R-18指定】『グリーン・インフェルノ』特別映像

よく分からない決断である。仲間の喰われ方が酷かったのでよけいにそう感じる。

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