『イヴァン雷帝』アンリ・トロワイヤ著。ロシアは独裁者が好きなのだ。

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イヴァン雷帝の肖像画

見るからに、サディステックな顔立ちをしている。

 

『イヴァン雷帝』アンリ・トロワイヤ著、では物語として、
さらに誇張された残虐性が描かれている。

 

ロシア人の正式な歴史が始まったのは結構新しい。
16世紀中頃からである。
イヴァン四世(雷帝)の在位(1533~84)が、そのままロシア人の歴史の始まりとなるのだ。

 

そして、何故に“雷帝”(ロシア語では“グロズヌイ”)なのか。
キリスト教で雷は、神から下る懲罰のように扱われていた。
つまり、雷帝とは、神の如き皇帝(ツァーリ)であるということだ。

 

イヴァン雷帝は、約300年近く続いたモンゴル人の支配、
いわゆる「タタールの軛(くびき)」からロシアを完全に解き放った。

しかし、その功績と並行して、凄まじい独裁政治を国民に強いた。

 

ノヴゴロドの懲罰」はその典型である。

ノヴゴロド市は、イヴァン雷帝時代の大都市である。
モスクワの北西にあり、バルト海貿易によって栄えた国際商業都市であった。
この都市に住む市民全てが、イヴァン雷帝を裏切る陰謀をくわだてたとして罰されたのだ。
もちろん冤罪である。

『イヴァン雷帝』アンリ・トロワイヤ著より
「……凝り性のイヴァン雷帝は、妻の眼のまえで夫を、子供の眼の前で母親を、拷問にかけさせることにした。笞で打ち、四肢を打ちくだき、舌を切る、鼻を削ぐ、去勢する、とろ火で焼く……。血まみれぼろぼろになった無残な肉体は、頭か脚を橇に結びつけられる。橇は、真冬でも凍結しないヴォルホフ河の一角をめざし、さっそうと走ってゆく。目的地に着くと、氷の浮いた河に、夫と妻、母親と乳房にしがみつく赤子をいっしょくたにし、家族ひとまとめに投げ落とす。……」

イヴァン雷帝の性格が、特に酷かったとか猟奇的な人間だったわけではない。
環境が彼を必要とした。

 

ロシアの環境とは。

中央にあたる黒土地帯では、草が分解され豊かな腐植を土に与えていた。
そして、その黒色の土が豊かな作物をもたらしていた。
ところが、それ以外の土地はといえば、耕土は薄く痩せて、作物を育てる環境に適していなかったのだ。

春と夏は短く、5月から8月までの4ヶ月間程度で、残りの期間は寒冷な空気と凍えた大地の中にあった。
そのような中で生活していると、精神が荒んでくるのは当然といえる。

 

それ故に、ロシアでは、神は人間たちを気まぐれに懲罰するもののように捉えられた。

イヴァン雷帝はそう捉えた人間の典型である。

神に祈りながら、大勢の人を痛めつけ、拷問し、殺してゆく。

善行も愛も関係ない。悪徳のある人間であっても、いや悪徳がある人間のほうが思うままに生きているではないか。

神がそうであるから、神が選びたもう皇帝(ツァーリ)である私が何故真似をしてはいけないのか。


余談になるが、雷帝は、夫婦間の道徳についても書き残している。

結構マメな性格だったのだ。

道徳の手引『ドモストローイ』(家庭訓)には、

妻は性格をたわめなければいけないから鞭で打てとか、
罰し終えたら夫婦関係が気まずくならないように優しい言葉をかけろと書いてある。

現代人の感覚からすると、余計に気まずくなるだろうと思われるが、
当時はそれでよかったのかも。

 

ただし、この通り行えば、女がもっと強くなるのでは?

そうだ、ロシアの女は、昔も今も強いことで有名である。

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