室生犀星の有名な詩「ふるさとは遠きにありて思ふもの」
人には、定住型と移動型があるようだ。
私は典型的な移動型なので、故郷に対しての望郷の念がほとんど無い。
懐かしいなと思い出しても、それだけのことで、
帰りたいとの強烈な念は起きることがない。
今現在いる場所が私にとっての故郷なのだ。
だから、室生犀星の詩に共感できる。
「小景異情」「その二」
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
しかし、よく詩を読み返すと、これは強い望郷の詩なのかも。
それとも帰れない理由があるから「遠きにありて思ふもの」なのか。
映画『おろしや国酔夢譚』大黒屋光太夫が求めた故郷
18世紀後半の日本とロシアが舞台の映画。
現在の三重県伊勢、交易船の船長であった、大黒屋光太夫が主人公である。
彼は実在の人物で、江戸に向かう途中に難破し、遥か北方のロシアまで漂流した。
どうしても帰国を願う彼と船員達は、ユーラシア大陸を横断し、
当時のロシアの首都サンクトペテルブルクまで行き、
女帝エカチェリーナ2世に謁見する。
帰国させてもらえるよう頼むためである。
帰国させる条件として、日本沿岸の砲台場所を地図に描くように言われる。
描くより他に、帰国の選択肢はなかった。
映画でも原作でも、日本に帰国してからは幽閉されたように描かれているが、
後の資料によると、江戸で自由に生活していたらしい。
その様子が書き残されている。
(上記の「光太夫漂流巡路図」はこのホームページから引用)
人間にとって故郷とは何か。
当時、司馬遼太郎の熱狂的な読者だった私は大いに期待して読んだ。
が、やや肩透かし気味だった。
作品が悪いのではなく、定住型でない自分には理解できなかったのだ。
これ程までに故郷を求める気持ちは、今でもわかりにくい。